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ハンガリー人が模索するハンガリーの姿:「カメムシ」政権の誕生とハンガリーのこれから

ハンガリー人が模索するハンガリーの姿:「カメムシ」政権の誕生とハンガリーのこれから

「一歩ずつ、レンガ一つずつ、国を立て直す」。これは、ハンガリーの新政権を獲得した政党ティサ(Tisza)の党首マジャルが、政党発足から2026年4月12日の選挙で圧勝するまでに繰り返してきたスローガンである。 この一連の流れで注目に値するのが、現在に至るまで16年間政権を握り続けてきたオルバン率いるフィデス(Fidesz)支持層とティサ支持層の間の温度差である。ティサ支持者らが「新しい時代の幕開け」を喜ぶ中、フィデス支持者らがただの敗北感とは結論づかないような反響の中にいるのを肌に感じるのは気のせいではない。外国メディアで報道されるのは最終的な結果のみとなりがちだが、その裏には国と次世代の先行きを大きく左右しうる激しい論争があったことを、主に国内の状況に着目して深堀りしようと思う。 フィデス政権が16年続いた構造 ティサ支持が広がっていった背景として、長年にわたる汚職問題の存在は無視できない。フィデス政権に対しては、公共調達やEU資金の運用をめぐる構造的な汚職が指摘されてきた。具体的には、公共調達が特定の企業グループに集中しやすく、国家およびEU資金の配分プロセスの透明性が低

By Aki Bevin
日本の歴史教科書は、なぜ責任を語らない物語としての批判を受けるのか?

日本の歴史教科書は、なぜ責任を語らない物語としての批判を受けるのか?

日本の歴史の検定教科書は、世界の学者からしばしば、偏った国家保守的な見方を含んでいるとして非難されてきました。私自身も、教科書に頻出する「我が国」という表現や、出来事を淡々と時系列で並べる、分析を避けた語り口に、以前から違和感を覚えてきました。 それは単なる言葉遣いの問題ではなく、国家、戦争責任、そして歴史そのものをどう扱うのかという、より深い姿勢を反映しているように思えます。ここでは、日本の歴史教科書がどのような言語的・制度的枠組みのもとで、責任を曖昧にするナラティブを作り上げてきたのかを考えていきます。 1.教科書が作り出す「日本」という主体 日本の多くの歴史教科書の根底にあるのは、「日本」を文化的・民族的に統一された主体として捉える視点です。国家、軍指導部、一般国民のあいだに存在したはずの内部分裂や意見の相違、権力の非対称性はしばしば曖昧にされる一方で、歴史的苦悩や記憶の継承については強い一体感が強調されるという傾向が、戦後から現在にかけて度々批判の対象となりました。 こうして、切れ目のない国民的主体が生み出され、戦時中の侵略に対する責任は軽視、あるいは曖昧にされていき

By Aki Bevin